チロエの対岸の南米大陸側は、狭いところでは、アルゼンチンとの国境まで20km程度しかないところがあるほど狭い場所もあります。険しい地形の上に深い森になっているので、大陸側では南へ続く道は途絶えます。チリを縦断してきた5号線は、フェリーでチロエ島につながり、チロエを縦断して南端近いQuellonまで続き、そこで終わります。カイテンからは、未舗装の道が、フィヨルドや深い森や湖や山の間を縫って南に続いていますが、その道も、南緯48度あたりで、Campo de Hielo Su(南氷床)に阻まれて終わります。

Shin in Chile

Isla Grande de Chiloe

←フェリーでChacao港に着岸したと言うより、チロエの海岸に、上陸用舟艇で上陸する感じです。

Return

→五号線はAncudの手前を素通りし、南に向かいます。周りは深いが続きます。道路からは建物は見えませんが、牧場になっているところもある様で、所々、生乳の収集用の缶が道端に置かれています。

←チロエ島の北、Chacaoが近づいてきました。砂浜が延々と続いていますが、港らしいものはどこにも見あたりません。

↓プエルトモンから南西に5号線を60km、Parguaからフェリーに乗り込みます。

→さらに近づくと、海に延びている板の様なものが見えてきました。これがChacao港のようです。

港らしい施設(堤防とか船着き場)はありません。コンクリートで舗装された斜面が海に続いているだけです。斜面の先に乗船用のタラップをおろしたフェリーが着岸しています。フェリーというより、上陸用舟艇に乗り込む感じです。内海で、海が荒れることがないのでこれで十分なのでしょう。

サンチャゴから約1000km近くつながってきたチリの中央低地は、プエルトモンの南で海に沈みます。比較的標高の高かった、西側の、海岸山地の延長上には、島が列上に南に連なります(map)。チャカオ水道を挟んで、一番北で、一番大きい(Grande=大きい)のが、Isla Grande de Chiloe(チロエ島)です。

Dalcahueの市場を訪ねます

係員が次々車を誘導して止めていきます。船と言うよりは、前に当たる側の壁が前に倒れる箱という感じで、写真で判る様に、片方の壁に手すり付きの階段とデッキがあって、その中央に操舵室がついているだけです。戦争映画で見たことがある、上陸用舟艇そのものです。当然、乗客用の船室はないので、車の中にいるか、操舵室側のデッキで風を浴びながら海を眺めるしかありません。出港後、バスや列車の車掌のように、集金用のバックを持って、船員が料金を集めて回ります。当然ながら、乗客名簿はありません。

この時ではありませんが、フェリーの周りに、海の生き物たちが、集まってくることがあります。

←1時間程度森の中を進むと、家並みが出てきます。

 チロエ島は、16世紀にペルーから南下してきたスペイン人が占領した、南の端にあたります。その後、アラウカノ族の反攻で、南部の多くの地域が失われたときも、この島は、チリ中北部と切り離されたまま、スペイン人の支配下であり続けました。チリがスペインから独立したときにも、最後までスペイン軍が残り、抵抗を続けました。そのため、晴天の多いチリ中北部と違う、雨が多く深い森に覆われた風土と相まって、独特の文化が育成されたそうです。どんな所なのでしょう。

フェリーについてきた、イルカ。フェリーと遊んでいる感じです。

①木造の教会

Palafito

アシカの仲間のようです。