スマイルアゲイン



菜の花が咲いている。春のそよ風に吹かれた黄色い花は、その可憐な姿で晋作の目を和ませた。
色鮮やかな黄色が、田舎道を美しく染め上げる。
「兄を、思い出します」
未だ少年の幼さが残る高い声で、丸く大きな目を細めながら、野村和作はそう言った。晋作と二人、菜の花の広がる松本村を行く。
穏やかな太陽の光が、二人の頬を照らしていた。和作はすう、と息を吸い込んだ。春の匂いが、体に染み込んでいく。
のどかで、暖かい日だ。
晋作はさんばらに切られた髪の毛を細い手で梳き、目の前に広がる菜の花を乱暴に蹴り上げた。黄色の花弁が宙に舞い、春風にさらわれてゆく。
「兄は、幸せだったでしょうか」
和作は菜の花の裏に潜む小さなてんとう虫を指に乗せ、ぼんやりとそんなことを言った。てんとう虫は、和作の指の上で羽を震わせている。
晋作は和作の声を聞きながら、菜の花を摘み取り、空中に投げていった。鮮やかな花を折られ、無残な姿となった緑色の茎が、晋作の後ろに続いている。
晋作は黄色で滲む世界を歩きながら、今は亡き入江九一のことを想った。
入江のことを想うと、彼の笑顔しか浮かんでこない。
入江の、泣いている顔だとか怒っている顔だとか憎しみに支配された険しい顔なんかは、ちっとも浮かんでこなかった。
入江は人一倍、師である松陰に傾倒していたし、誰もが松陰の間部老中要撃策に反対を表明する中、彼と彼の実弟である和作だけは
何があろうと松陰に従い、ついて行く覚悟を決めていた。晋作が発案した奇兵隊の創設に参加し、助けてくれたのも彼だった。
松陰は、入江の実直さ、誠実さに深い信頼を置き、彼の清廉潔白な性格を心の底から愛していた。
入江は、いつだって正しくて真面目で、誰よりも熱い心を持っていた。
そんな入江を想うといつも、彼の穏やかな笑顔しか浮かんでこない。
浮かぶのはいつも、彼の笑顔。
入江九一という人間の、人となりを表しているような。
晋作の思い出に残る入江の顔は、静かな松本村に広がる菜の花のような、どこまでも朗らかな笑顔なのだ。
彼が戦場に散ってから幾つもの季節が巡り、厳しい夏や凍てつく冬を乗り越え、穏やかな春が訪れた。
彼には、人々を包み込む春がよく似合った。
浮かぶ顔全てが笑顔だなんて、なんて。


晋作と和作は二人、黙々と松本村の往来を歩く。
晋作に手折られた菜の花は、青い茎を太陽にさらけ出し、春の風に吹かれている。
晋作は手の平いっぱいに摘んだ菜の花を、空高く舞い上げた。和作は、一面を埋め尽くす黄色を、瞬きもせずに見つめている。
青い青い空の下、二人は入江九一という、誰よりも清潔で真っ直ぐな男のことを想った。
二人は入江の優しい眼差しを瞼の裏に浮かべ、ああ、彼はもうここにはいないのだと、彼のいない初めての春を、その物悲しさを、改めて実感するのだった。

浮かぶ顔全てが笑顔だなんて、なんて、切ない。




end




春と和作と晋作兄さん。そして、思い出の中の九一さん。春風さんはむしろ、晋作の諱ですが。