あこがれ



初めてその人の顔を見た時は、同じ人間だというのにこうも自分と造作が違うものかと愕然とし、そして強烈に憧れた。
背丈は利助よりもはるかに高く、背筋が凛と伸びていて、自信に満ち溢れている。
意志の強そうな眉と、大きく輝いた瞳と、すっと伸びた鼻筋と。利助にないものを、全て兼ね備えた青年だった。
よく通る張りのある声で、利助の憧れる青年・久坂玄瑞はこう言った。
「彼が、今日から塾に通うことになった高杉くんじゃ」
久坂に紹介された高杉という人物は、背丈は利助と同じくらい、立派な体格をしている久坂とは違い、
ひょろひょろと棒のような体系でやっせぽち、狐のように吊り上った目と、大きな口をした顔は、お世辞にも
美形とは言いがたかった。久坂が言うには、彼は名家のご子息らしい。
言われてみれば、利助にはない気品が、きつい物言いやきびきびとした所作に表れている気もしたが、
それでも、何かをすれば必ず人目を引き、そしてその行動が全く嫌味にならず、男である利助から見ても惚れ惚れ
してしまうほどの久坂から比べると、遥かに劣る気がした。何故、久坂はこの男を連れてきたのだろう。
利助はその疑問を、「久坂さんが認めているのだからすごい人なのだ」と半ば強引に解釈することで呑み込んでいた。
だって、憧れの久坂さんが自ら連れてきた人なのだから。きっと、何か“ある”人なのだ。

それからというもの、夜になると人目を忍ぶように塾へとやって来る高杉を、利助はどうにか理解しようと努めたのだが、
久坂が言うほどには高杉の凄さが利助にはわからない。乱暴で気まぐれで我侭で、いかにも名家の跡取り息子といった体で
利助を扱い、高慢で無愛想で。高杉の身分への嫉妬も、利助にはある。自分の思いなど、苦労など、わかってたまるかという思いも。
しばらくすると、師である松陰も、そして吉田栄太郎も入江も、高杉を認めるようになり、久坂、高杉、入江、吉田は
人知れず「四天王」などと呼ばれるようになったのだが、それでも利助にはその「良さ」がわからない。
彼がやって来るずっと前から入塾している自分より、高杉が松陰に気に入られているという事実だけでも悔しいというのに、
久坂と二人きりにると、やれ最近の晋作は勉強に身を入れるようになっただとか、やれ晋作の発想はいつも突飛で面白いだとか、
高杉の話ばかりするので、それも利助には面白くない。
それでも、憧れの久坂が褒めるのだから、きっと、凄い人なのだ。多分、そうなはずなのだ。僕にはわからないだけで。

暗い夜道を歩いていると、後ろから「おい利助」という不躾な声がした。その声の主を、聡い利助はすぐにわかってしまって、
それだけに振り向きたくはなかったのだが、身分の高い高杉を無視することなど、利助には到底できないことだった。
高杉の少し後ろを、利助は無言で歩いた。無口な高杉とは、あまり話をしたことがない。久坂を交えてなら一言二言
会話をしたこともあるのだが、二人きりとなると勝手が違うのだ。砂利道を二人、俯きながら歩いている。
と、遠くから見覚えのある武士が二人、歩いてくるのが見えた。
小さな頃、その二人に散々からかわれた覚えのある利助は、自然と足取りが重くなる。
「何しちょる。早く来んか」
怒ったように言う高杉に頭を下げつつ、利助は二人の武士に気づかれないよう注意を払いながら歩き続けた。すれ違いざま、
「農民のくせに、勉学をしてどうするっちゅうんじゃ」という笑い声が聞こえ、利助は顔を赤らめた。
怒りがふつふつと沸き、拳をぎゅっと握り締める。ふと、高杉が利助の顔を覗き込み、
「殴って来る」
と、静かに言った。
「え、いいです、そんな。気にしちょりません」
「しちょる。気にせん方がおかしい」
「してません」
「気にしろ」
高杉に見つめられ、そう言われると、武士二人への怒りよりも、この場をどう収めようかという困惑の方が強くなる。
「しょうがないんじゃ」
呟くようにそう言った利助に、高杉は不思議そうな声を出し「しょうがない?」と問う。
「相手は武士です。それにこんなことは、いつものことで」
利助は、そう言う自分自身に嫌気が差した。しょうがないなんて。先生が聞いたら、なんと言うだろう。
「ふむ」
納得したふうの高杉から目を背け、利助は深い息を吐いた。何が悪くて「しょうがない」のかは、利助にはまだ、わからない。
けれど、何かが悪いのは事実なのだ。それを、上手く言葉にすることができないのだが。
「何故、しょうがないんじゃ?」
「え?」
「しょうがないのは、何故じゃ」
「それは…」
そんなこと、わかるはずもない。それに、あんたには関係のないことだし、何故かがわかったところで、所詮あんたも
武士じゃないか。わかったところで、あんたは、どうするんじゃ。
「久坂は、わかっちょるのか」
高杉は夜空を見上げ、ふと、そう言った。利助は鬱屈する胸の内を、この際高杉にぶつけてやろうと思った。
「きっと、わかっちょります。あの方は、いろんなことをご存知で、優しくて、真面目で、人望があって、僕は尊敬しちょります」
あんたとは違って。そういう意味を含ませながら、利助は一気にそう言った。
「うん、僕も、そう思う」
冷たい夜風が木の葉を揺らす中、真面目に、高杉が言うので。
利助は毒気を抜かれたかのようにその場に突っ立って、呆気に取られてしまった。
少し照れたように俯く高杉を、久坂を素直に認める高杉を、利助は初めて見た。
この人もこういう顔をし、こういうことを言うのだと、驚きと同時に嬉しくなったりもした。何より、自分の「憧れ」の久坂が褒められている。
高杉は一瞬、立ち止まり、何事かと伺う利助に、「おい」と不機嫌な声を上げた。
「・・・今のは嘘じゃ。誰にも言うな」
背を向け、そんなことを言う高杉も、利助は初めて見たのだった。

まだ、僕にはわからない。久坂さんはかっこよくて頭が良くて、優しくて真面目で僕の憧れの人だ。
そんな久坂さんが認める高杉さんも、多分、凄い人なのだろう。
少しだけなら認めてもいいと、利助は思った。
そして、これからこの人のことをどんどん好きになっていく予感がし、利助は嬉しいのか嬉しくないのか、
どちらともつかない心境で塾への道を高杉と二人で歩き、この答えを先生は知っているのだろうかと、そんなことを考えた。


  星は明るい。僕はきっと、この人をもっと、好きになる。




end




久坂→←高杉&弟分な利助。これから利助は高杉病にかかるわけです。